会長就任挨拶: 発足 30 年の節目を迎えて 稲葉 寿 ∗
日本数理生物学会会員の皆様、明けましておめでとうございます。本年 1 月から 2 年間、会長を務させていただくこととなりました。事務局幹事長は東京海洋大学の岩田繁英さん、会計は東京工業大学の中丸麻由子さん、庶務は首都大学東京の立木佑弥さんと国立社会保障・人口問題研究所の大泉嶺さんにお願いすることとなりました。事務局共々、どうぞよろしくお願いいたします。今年度の JSMB 大会は、中丸麻由子さんに大会委員長をお引き受けいただき、東京工業大学において 9 月 14 日から 16 日に開催される予定となっています。昨年はシドニーにおける SMB との合同大会でしたから、2年ぶりの国内大会になります。多数の会員の皆様の積極的な参加を期待しています。
さて、今年は JSMB の前身である数理生物学懇談会JAMB が 1989 年に発足してから 30 年の節目に当たります。そこで、当時のことをご存じない若い方々も増えたと思いますので、少し過去をふりかえってみたいと思います。いうまでもなく、1989 年は、1 月の昭和天皇の崩御によって平成がはじまり、6 月には天安門事件、11 月にはベルリンの壁が崩壊して東西冷戦は終結に向かうという、まさに時代の転換期でありました。個人的には 89 年の 11 月に留学先のライデン大学で学位を得て、ようやく研究者としてスタートした年でした。オランダに前年から滞在していたので、数理生物学懇談会の発足の過程は知らなかったのですが、手元にある「数理生物学懇談会ニュースレター」第 1号 (1989 年 10 月 1 日) 所載の三村先生の記述によると、その前年にオクスフォード大学数理生物学研究所を再訪した折、そのような組織の必要性を滞在中のサイモン・レビンSMB会長(当時コーネル大) に説かれ、帰国後、同年10月の京大数理研の研究集会「MathematicalTopics in Biology」で趣旨説明をおこなったところ、多数の賛同を得て、89 年に寺本英、山口昌哉両先生の呼びかけによって懇談会が発足したと記されています。同レターには発足時の会員 80 名ほどの名簿が掲載されています。両先生を含め、すでに亡くなられた方の
お名前を見ると、時の流れと感慨を禁じ得ません。今日の学会の基礎を築かれた方々に、あらためて感謝を申し上げたいと思います。
さてニュースレター第 1 号には寺本、山口両先生による巻頭言も掲げられています。寺本先生は「理論的モデルは、理論屋の単なる思考の遊びではなく、モデルは仮説や理論を導くもの、あるいは仮説や理論そのものであって、むしろその主な利点は予測能力のある科学を新しく生み出すことである、という信念をモデル研究者自身がもてるようになってきた」と、数理生物学の進歩を評価する一方で、Werner and Mittelbachの「動物が実際にどのような能力を持っているか、そして何が重要な問題なのかということとは無関係な、取るに足らないような理論が蓄積する危険を避けるために、理論は経験的な研究と協力して発展させることが重要である」という言葉を引いて、理論倒れを戒めています。しかし最近の数理生物学会の発展をみると、この警告は杞憂に終わっているようです。とくに過去
10 年間を考えると、計算可能性、実験可能性の長足の進歩によって、それまで定性的な研究で終わっていたような分野でも、実験系とのコラボレーションによって定量化が進み、理論の検証が可能になってきています。また、理論疫学のように、現実の感染症対策の理論的支柱として、80 年代後半以降に急激に発展した分野もあります。もはや数理モデルを「たとえ話」と卑下したり、揶揄する向きはなくなりました。
数理モデルは、若い世代にとっては計算機や統計解析と同様に、ごく一般的な解析ツールになってきたといえましょう。しかしもし数理モデルがパッケージ化された方法論にすぎないなら、はじめから生物学、疫学、医学などの個別科学に参入するのが早道でしょうし、キャリアパスとしても有利でしょう。数学者は数学の世界に戻っていってしまうでしょう。数理生物学の成熟化は皮肉にも個別対象科学への解体過程を招き寄せてるとは言えないでしょうか。こうした危機を突破する力は、やはり強力な異分野コラボレーションによって新しい方法論を絶えず編み出していくことにあると思います。JSMB が次世代生命科学の数理イノベーションのプラットフォームとして発展するように、微力ながら力を尽くしていきたいと思います。
∗東京大学大学院数理科学研究科 日本数理生物学会会長 稲葉 寿
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